モラトリアムにゃう

気が向いたら書くブログ

リツコのいちばん長い日

5年ほど前にバンギャルをあがりました。リツコです

今回は「行きたいイベントに呼んでもいないのに母親がしかも嫌々ついてくる」という通過儀礼のお話。

 

未だに「過保護のカホコ」と「ブランケット・キャッツ」を見ていて胸が痛む過保護母の元に育ったわたしの、ささやかな反抗期にのめり込んだものがヴィジュアル系でした

今思えば「あの頃にもっと思いっきり反抗期を爆発させていれば…」というくらいのささやかな反抗期でした。中途半端に反抗心を芽生えさせたおかげで、未だに反抗期とおウチ帰りたくない病を拗らせています

 

母親に「友人と遊びに行く」と嘘をついて新宿・歌舞伎町のライヴハウスで開かれる昼からのライヴに一人参戦し、門限の6時きっかりには帰宅する日々。門限を破ることもなく、多少の言い合いはありましたが親に当たり散らすでもなく、ほんとうにささやかな反抗だったような気がします 

 

ところがある日突然どういうわけかライヴハウスに通っていることが母親にバレてしまった!そして母は言うのです、「そんなところに行くのなら心配だから私も連れていけ」と

わたしは耳を疑いました。何故ならわたしは知っていたからです、あんな薄暗くてカビくさい狭い箱など、母のような人間が行くところではないと。母が行けば拒否反応を示すことも、母に居心地の悪い思いをさせることも、よく分かっていました

何度か説得を試みたものの母は聞く耳を持たず、その後何度かライヴに付いてきました。新宿ホリデー、池袋サイバー、浦和ナルシス。その名を聞くと懐かしいような、辛いような気持ちで胸が締め付けられるハコばかりです。

もちろん母は浮いていました。母を連れているわたしも。あれは長い日でした、楽しみにしていたライヴも母が気になって全然楽しくない。でも途中で帰るのは癪。おかげでわたしはライヴに行きづらくなりました。

 

心配でしょうがなくて、あんなところ行かせたくないという母の気持ちはよく分かりますが、当時のわたしには理不尽さしか感じられませんでした。当時はヴィジュアル系があまり市民権を得ていなかったこともあって、未だにヴィジュアル系に対しては後ろめたいような懐かしいような愛しいような気持ちが胸を満たしています

バンギャルをあがったのはもちろん母のせいだけではありません。ライヴに行きづらくなったり、何となくバンギャル同士の低レベルで陰湿な人間関係に疲弊したりして、程なくしてわたしはバンギャルをあがりました

 

同い年の友人がアニメのイベントのための大阪遠征(遠征は初めて)に、ヲタクカルチャー大嫌い友人母がついていくと言って聞かないと愚痴られて、なんとなく自分にもそんなことあったな~と思い出しました。通過儀礼なのかもしれませんね。